緋色の桜

 時は移ろい、戦乱の世となった時代。頭角を現し始めた家があった。

 春曲(はるくま)家。

 彼等はその類い稀な武の才で幾つもの戦場(いくさば)を制し、その華麗な剣技を人々の目に鮮烈に焼き付けた。
 それが、今現在も"(つるぎ)の神"などと称される春曲の武人としての歴史の始まりだった。

 だが、彼等の悲運の歴史もここから始まる。

 功績を重ねるうち、いつの頃からか春曲を味方につければ勝利は必然と囁かれるようになり、戦場では常にその名が上るようになっていた。

 元来無用な争いを好まぬ春曲であったが、一騎当千にも勝るその強さを欲し、或いは畏れた武士(もののふ)逹は、様々な策を講じて常に春曲を戦場へと駆り立てた。

 ある時、参戦を拒む春曲を従わせるべく、春曲当主の妻を(さら)った者がいた。
 しかし女と言えども春曲の者。武芸の心得もあった彼女は、家に迷惑はかけるまいと単身脱出を図った。

 だが、不運にも彼女は追っ手との争いの中で命を落としてしまった。
 それが、悲劇の引き金だった。

 一足遅れでその場に駆けつけた春曲当主は、妻の亡骸を目にし――

 鬼となった。

 悲しみのあまり自我を失った春曲は、敵味方の区別もなく、ただただひたすらに刀を振るい続けた。

 百を越えると言われる命と、春曲嫡男の片腕、そして次男の両目。
 多大なる犠牲を払って漸く、彼を止めることができたのだった。

 正気に戻った彼は、静かに息子達に詫び――

 妻の亡骸を抱き締めて自害したという。

 桜の花びらと共に舞う鮮血とそれを纏った鬼神の如き姿から、その出来事は"緋桜の乱"と呼ばれ、それから百数十年経った今もなお、春曲を恐れる者達の間で密やかに語り継がれている。
 悲劇の舞台となった廃寺には春曲夫妻の供養塔が建てられたが、武家の間では忌避すべき場所とされ、春曲家とその縁者以外が訪れることはないという。

「…………」
 男がひとり、廊下に設けられた窓に体を預けていた。
 まるで花魁のように色鮮やかな打掛を羽織ったその男の頭には、鳥の巣にでも突っ込んだのか、無数の羽が生えていた。
「…………」
 彼はそこから見渡せる庭の風景を眺めていた。
 ここは建物も庭もひどく寂れていたが、井戸の横に場違いに咲く一本の桜だけは、なんとも立派で美しかった。
 散り際らしく、風が優しく撫でるだけでさぁぁと華麗な花吹雪が舞う。
――廃寺… 桜… 囚われの奥方……」
 そんな景色を穏やかな表情で眺めていた彼は、ふっと静かに笑み――
「……これも因縁か。」
 そう呟くと、身を翻してすぐ横手にあった戸に手を掛けた。
 がらりと拓けた視線の先にいたのは、柱に縛りつけられて座るひとりの若い娘。
 その娘の口には猿轡(さるぐつわ)がされており、着物の所々が赤く染まっていた。
「……っ!」
 彼女は男の存在に気づくと、怯えた瞳を更に大きく見開いた。
 それにまた静かに笑むと、彼はいつもの調子でこう言った。
「やぁお紅、暫く振りだな。」

 彼女の名は春曲紅。
 若き春曲当代の妻であった。