第4話

 二人が合流してからは早かった。
「……よし、これで最後だな。」
「はい。」
 短剣を腰に戻して踵を返す。
「……あ、あの……」
 目の前までやってきた自分を、戸惑いと…微かに何かを期待するような複雑な表情で見上げてくる彼女に、シグは頷く。
「…話がまだだったな。
 俺は町長に頼まれて助っ人にやってきたモンだ。」
「…そう…だったんですか…。」
「……ああ、俺が来たからって、お前さんの報酬が減ったりすることはないから安心してくれ。」
 どこか悲しげに顔を伏せられ、そう言い加える。
「……はい……。」
「……一応言っておくが、町長は別にお前さんの力量を疑って俺をよこしたわけじゃないから、そこんところだけは誤解するなよ?」
 そこまで言うと、彼女ははっとしたように顔を上げ、
「そんな…! とんでもないです!」
 すっと姿勢を正し、改めてシグを見る。
「…危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。」
 そう言って深々と頭を下げる彼女に、シグは微笑む。
「礼なら町長にするんだな。
 ……じゃあ、行くか。」
「はい。」
 それに彼女も頷いて、二人は遺跡を後にした。
――そういえば、まだ名乗ってなかったか。」
 町長宅へと向かう道すがら、シグが呟く。
「俺のことは……まあシグとでも呼んでくれ。
 お前さんは?」
「紅主と申します。
 ……あの……シグさん。」
 彼女はじっとシグを見上げている。
「ん?」
「…町長さんの家に行く前に、一緒に寄っていただきたい所があるのですが…」

――どうぞ。」
 紅主はそう言って目の前のドアを開けた。
「……ここ、宿だよな?」
 シグはついついそう確認してしまった。正確には、その一室へと続くドアである。
「はい。どうぞお入り下さい。」
「…………」
 促されたものの、どうしていいものかと迷う。一時的とはいえ、今は彼女が使っている部屋だ。先程出会ったばかりの男が気軽に足を踏み入れていい場所なのだろうかと一瞬迷う。
 しかし彼女はそんなことを気にする素振りもなくドアを開けて待っているので、シグは言われるまま中へと入った。
「そこにお座り下さい。」
 ドアを閉めた紅主がクローゼットの方へと歩きながら言う。
 シグは指示された通りにベッドに腰を下ろし…
「あ…
 それと、服を脱いで待っていて下さい。」
 と、そんなことを言われ、
「……ん?」
 思わず訊き返していた。
「ですから、上衣(うわぎ)を脱いで……」
 戻ってきた紅主は、シグの表情を見て漸く言わんとしていることを察したらしく、かぁぁっと赤面する。
「…え!? あ…!?
 あのっ… ち、違うんですっ!
 私は怪我の手当てをと…!」
 慌てふためく彼女の胸には、確かに救急箱が抱えられていた。
 それを見たシグは、観念したように微笑(わら)い、言われた通りに服を脱ぎ始める。
「…よくわかったな、俺が怪我してるって。」
「は、はい。途中から、少し動きが違いましたから。怪我を庇っているんだろうと思いまして。」
「…そうか…。」
 やり手のハイプリーストは出会ったばかりの人間の動きをそこまで把握できるものなのだろうか。
 けれど、確かに彼女の支援はシグの動きに合った的確なものだったと思い出す。
「では、腕を上げて下さい。」
 紅主はシグの隣に座ると、怪我の具合を診始める。
「…脇腹を怪我するなんて、格好悪いから隠してたんだけどな。」
「そんなこと…!」
 冗談めかして言うシグを紅主が振り仰ぎ、
「…そんなことないですよ。
 とても…
 とても格好良かったです。」
 ほんのりと頬を赤らめながら、微笑んだ。
 恋する少女のような瞳でそう言われれば、気を悪くする男はまずいないだろう。
「……そいつはどうも。」
 だから、シグも素直に礼で返した。
「…あ~…紅主はいつまでここにいるんだ?」
 それがどこか気恥ずかしくて、適当な話題を振る。
「明日のお昼まではいるつもりです。」
「…また会いに来てもいいか?」
「え?」
 少し驚いた風に言われ、シグははっとする。
 いきなり何言ってるんだ、俺は…。
「あ…いや… 別に変な意味じゃなくてだな…」
 慌てて言葉を足そうとするシグとは逆に、納得したように紅主は頷き、
「…あっ…、はい。私でお役に立てるのでしたら、いつでもいらして下さいね。」
 にこりと微笑む。
 どうやら『プリーストに』何か用があると思われてしまったようだ。
 安心したような、そうでないような。
 よくわからない心地にシグが頭を掻いていると、紅主が屈めていた身を起こす。
「…手当て終わりました。
 回復魔法と… 念のため、患部の保護をしておきました。」
「ああ、ありがとな。」
 紅主は救急箱を片し、シグは服を着る。
「……あ、サ……シグさん。」
 戻ってきた紅主が、再びシグの隣に座る。
「ん?」
「少しの間だけ、そのまま動かないで下さいね。」
「……お?」
 何かと思っていると、紅主がシグの首に両腕を回してきた。
 顔を寄せられ、紅主の優しい香りがふんわりと鼻先を撫でていく。
「ちょ、ちょっと待…」
 思わず狼狽え止めようとするが、
――はい、できましたよ。」
 それだけ言うと、紅主はあっさりとシグから離れた。
 反射的に胸を押さえようと伸ばした指先に、何かが触れる。
「……ん? これは……?」
 シグの胸元には、太陽を模したであろう大振りの首飾りがあった。
「あ… えっと… 御守…みたいなものです。
 やっぱり似合いますね。」
「そ、そうか?」
 何やらとても嬉しそうに微笑まれ、シグは頬を掻く。
「俺がもらっちまっていいのか?」
「はい。シグさんに持っていて欲しいんです。」
「……そうか。
 じゃあ、ありがたくいただくよ。」
「はいっ。」
 彼女はまた微笑(わら)った。
 それがあまりにも嬉しそうで、シグは再び頬を掻く。
 彼女といると、どうにも調子を狂わされる気がした。
 それなのに、彼女の笑顔を見ると、心安らぐ自分がいる。
「…………」
 しかし… とシグは思う。
 自分はどう見積もっても四十は過ぎているであろう外見だ。対して紅主は二十後半くらいだろうか。
 良い歳したオッサンが、十歳以上も年下の彼女の一挙一動にドキドキして振り回されるのは、どこか釈然としなかった。
 それがなんとなく悔しくて、妙な対抗心が沸く。
「…………?」
 紅主は急に黙り込んで自分を見つめるシグに首を傾げていた。
 そこで、先程のお返しにと、思わせ振りに彼女の頬に触れてみる。
 さらりと髪が揺れ、手のひらから伝わる柔らかな感触。
「……???」
 けれど彼女は、そんなシグの内心も知らず、更にきょとんと彼を見上げている。
 …っていうか、本当に警戒心なさすぎだろうが…!
 逆にシグの方がドギマギしてくる。
 …こ、この手をどうしろと…っ!
 退くに退けなくなったシグは、思考の転換を図る。
 そうだ。紅主から見れば、きっと俺は父親のようなものなのかもしれない。
 だからこんなことをされても、別に何とも……
「…………。」
 それもどうなんだ。
 とそこまで考え、自分で哀しくなった時。
――シグがここにいるって本当~?」
 そんな声と共に、ばたーんと勢いよくドアが開いた。
 振り向いた二人の視線の先にいたのはセリーシアだった。
 彼女は一瞬驚いた表情を浮かべるも、すぐに眉をつり上げる。
「ちょっとシグ! いつになったら帰ってくるのよ!! ご飯作って待ってたのに!」
「…ああ、悪い…」
 シグは触れていた手を離して仕方なく立ち上がり、紅主を振り返る。
「世話になった。
 ……じゃあ、またな。」
「は、はい。」
 部屋を出ていくシグにセリーシアも続こうとしたが――
 くるりと踵を返してつかつかとベッドの方へと歩み寄り、先程までシグが触れていた紅主の頬を、思い切り平手打ちした。
 乾いた音が部屋に響く。
「……え……?」
「…この泥棒猫。二度と彼に近づかないで。」
 セリーシアは強い口調で一方的に言い放ち、部屋から出ていった。
「…………」
 静かになったその部屋には、頬に手を当てたまま、二人の去ったドアをただただ呆然と見つめる紅主だけが残された。

「ちょっと、何してたのよ。」
 掛けられた声に振り向けば、半眼で睨みながら後ろを歩くセリーシアがいた。
「何って… 何もしてねえよ…。」
 我ながら何故不満げな声を出しているのかと思いつつ。
「宿屋の一室で、ベッドの上で見つめ合ってたのに?」
「ベッドの上って…
 椅子代わりにしていただけだぞ。」
「というか、なんであなたが彼女と一緒にいるのよ。」
「怪我の手当てをしてくれただけだ。」
「怪我? どうして怪我なんて…」
「ちょっとヘマしただけだ。」
 すたすたと歩いていくシグに、セリーシアはぶすぅっと頬を膨らませながら小走りに後を追う。
「……ふぅ~ん、ああいう(ひと)が好みなんだ?」
「…あのな… 治療してくれただけだと言っただろ。」
 いい加減うんざりとした表情で言い返すシグ。
「でも、残念だったわね~、人妻で。」
「だからそういうんじゃ……人妻…!?」
 何気なく発せられた一言に、シグの足が止まる。
「そうよ? 彼女、ダンナがいるもの。」
「…………」
 セリーシアが、押し黙るシグの顔を下から覗き込んでくる。
「……やっぱり、ああいう(ひと)が好みだったんだ。」
「……っ……勝手に言ってろ!」
 シグはまたずんずんと歩き出す。
「んも~、なんなのよ! こんな美人が好きなだけ相手してあげるって言ってるのに!」
「言われてねえけどな。」
「……好きなだけ相手して、あ・げ・る♪」
「遠慮する。」
「…………」
 セリーシアはまたぶすっとすると、足早に歩くシグの後をついていった。

 翌朝、シグはまた宿へと足を運んでいた。
 勿論、紅主に会いに来たわけなのだが。
――え? あのプリースト様かい?
 あの方なら、もう発たれたよ。」
 取り次いでもらおうと受付に話し掛け、返ってきたのがそれだった。
「なっ…」
 シグは思わず絶句する。
 紅主は昼まではいると言っていたはずなのに。
「…………」
 店員は、驚くシグを上から下まで眺め、
「…赤い長い髪をひとつにまとめた、頬に傷のある長身の男…
 うん、間違いないな。」
 独り言のように呟くと、カウンターの引出を漁り、そこから取り出したものをシグの前に差し出した。一通の封書であった。
「…これは…?」
「アンタ宛だ。そのプリースト様から。
 もし来たら渡してほしいってな。」
「…………」
 シグはそれを受け取り、近くにあったソファに腰を下ろして封を切った。
 そこに並んでいたのは、いかにも彼女らしい、綺麗に整った文字。
 内容は、昨日の礼と、予定を変更し、急遽ここを発つことにした旨が書かれていた。
 だが、便箋にも封筒にも、彼女の住所の記載はどこにもなかった。
 それはとりもなおさず、シグからの接触を望まれていないという表れとも言える。
「…………」
 シグは手紙をしまい、宿を出た。
 暫く歩いたところで何気なく空を仰ぐ。
 からっと爽やかな風の上に浮かぶ、鱗模様の雲々。
 ふと思い出す、紅主の柔らかい微笑()み。
『ああいう(ひと)が好みだったんだ。』
 セリーシアの言葉が脳裏に響く。
 確かにそうだったのしれないと心に思う。
「…会えなくなってから気づくなんて、我ながらどうしようもねえな…。」
 空を見上げたまま、シグは寂しげにぽつりと呟いた。
 心のどこかで、彼女がそばにいて当たり前のような錯覚さえ生まれていた自分に辟易してくる。
 シグは自嘲めいたため息と共に帰路に就いた。
――あら、お帰りなさい。買い出しご苦労様♪」
 玄関まで出迎えたセリーシアに、頼まれた品、そして手にしていた封筒を渡した。
「? 何この封筒。」
「食費だ。それくらいは出させてくれ。
 今まで世話になった。」
 それの表裏を見回していたセリーシアに、口早にそう告げる。
「え? いきなり何――
「お前に付きまとっていたというヤツは、もうこの街にはいないそうだ。
 だったらもう俺も不要だろう。
 じゃあ、達者でな。」
「えっ ちょっと待っ――
 シグは一方的にドアを閉めると、足早にセリーシアの家から離れた。

 セリーシアの家を出たシグは、再び宿を訪れていた。今度は正式な客として、である。
 しかし、幸か不幸か、通されたのは昨日の今日まで紅主が使っていた部屋だった。
「…………」
 シグは無造作にベッドに転がる。すると、紅主のあの優しい香りが残っている気がした。
「……そんなわけねえのにな……。」
 自嘲気味に呟きながら、シワひとつない布団に顔をうずめた。
 そういえば、記憶はいつ戻るのだろうかと今更ながらに思う。
 記憶が戻れば、紅主のことは忘れてしまうのだろうか。
 記憶のある自分には、紅主のように想う人がいるのだろうか。
「…………」
 そんなことを頭のどこかで考えながら、シグは静かに目を閉じた。