第3話

 紅主が家に着くと、その音を聞きつけてか足音が近づいてくる。
「お母さんだぁ~!」
 元気よく走ってきたのは茜だ。
「おかえりなさい。」
 その後ろから昴が。
「今日は早かったな。」
 そして最後には(かける)が、玄関まで母を出迎えた。
「お疲れでしょう。今お風呂沸かしますね。」
「ありがとうございます、昴。」
「一緒に入る~!」
「そうですね。じゃあ茜もお風呂に入る準備をしておいて下さい。」
「は~いっ!」
 ばたばたと二人がいなくなり、残された翔も紅主を見る。
「荷物を部屋まで運ぼう。」
「ありがとうございます、翔。
 それに、家の事も…。」
 荷物を託しながら、申し訳なさそうに微笑む紅主。
 翔はこの家に来てまだ間もなかった。
 不慣れな彼もいるのに自分が家を空けることになってしまったことを、紅主は気にかけていた。
「問題ない。あの二人は自分達でなんでもやるしな。むしろ世話になっているのは俺の方だ。俺は何の役にも立ててない。」
 紅主の横を歩く翔が淡々とそう応えた。
 それに紅主は首を振る。
「翔もいてくれるからこそ、私はこうして安心してサビクさんを探しに行けるんですよ。」
 いくらしっかりしているとはいえ、昴は十五歳、茜はまだ十歳である。
 十八という長子であり戦闘にも長けた彼が家にいてくれることは、紅主にとって、とても頼もしかった。
「……そういうものなのか?」
 きょとんと首を傾げる翔に、紅主は微笑む。
「はい。
 明日も昴と茜のこと、お願いしてもいいですか?」
 紅主がそう訊ねると、
「ああ、勿論だ。」
 翔の無機質な表情にも、微かに微笑()みが灯った。

 紅主が夕飯の食器を洗っていると、台所に昴がやってくる。
「母さん…!
 片付けは僕がやりますから、母さんは休んで下さい。」
「いえ、大丈夫ですよ。」
 そう応えると、昴は「じゃあ僕はこっちを片しますね」と言って、洗い終わった皿を拭いてくれる。
「助かります。いつもありがとうございます、昴。」
 そうして、二人で協力して食器を片していく。
「……あ、母さん。
 明日も父さんを探しに行くんですか?」
「っ――
 そんな何気ない一言に、一瞬体が強張る。
「少しは休んだ方がいいですよ。
 明日は僕が教会を休んで探しに行きますから、母さんは家でのんびりしていて下さい。」
「……いえ、明日はお仕事に行こうと思っています。」
 と、いつの間にか止まっていた手を再び動かしながら言う。
「仕事……ですか?」
 昴が意外そうな顔をした。
「はい。ここ暫く行っていませんでしたから。
 それに、お父さんのことなら心配いりませんよ。」
「えっ?」
 首を傾ぐ昴に、優しく微笑み、言う。
「前にも言ったでしょう? 長い間一緒にいた私には、離れていてもお父さんのことがわかるんだって。」
 こくっと頷く息子に、紅主は改めて顔を向ける。
「だから昴は、教会に行って、しっかりお勉強しないと。立派なプリ―ストになるのが、あなたの夢なのでしょう?
 それなのに、勉強を休んでまでお父さんを探しに行ったら、お父さん悲しみますよ?」
 そう言った途端に昴が身震いして、渋い顔をする。
「…というか、十中八九怒りますね…。父さん、怒る時は鬼のように怖いからなぁ…。」
 青ざめる昴に、紅主はくすっと小さく微笑(わら)った。
「……では、僕は予定通り教会に行きますが……
 母さんは、お仕事無理しないで下さいね。」
「はい。ありがとうございます、昴。」
 そんな会話をしながら、二人は食器を片し終えた。

――あ、紅主様。お久し振りです。」
 プリースト協会の受付嬢が、向かい来る紅主の姿を見留めて声を掛けてくる。
「最近あまりお見掛けしませんでしたが、今日から復帰ですか?」
「はい。またよろしくお願いします。」
 挨拶を交わし、受付用の帳簿に名前を記入する。
「今日でも受けられる仕事はありますか?」
「えっ 今日ですか?」
 問われて彼女はぺらぺらと台帳を捲る。
「…う~ん……今日は元々少なくて……多分、もう…」
――丁度今入ったばかりの仕事がありますよ。」
 そんな声と共に奥からやってきたもうひとりの受付嬢が、横からすっと一枚の紙を差し出してくる。
「内容:アンデッド討伐。
 人数:問わず。
 期間:今すぐにでも!
 どうです!? 紅主様のご要望通りの案件かと!」
「そう… ですね……」
 得意気に言う受付嬢に、しかし紅主は表情を曇らせた。
「…お気に召しませんか?」
「う~ん… これ以外となると、今日受けていただいて、明日以降から実務にっていうのしか…」
「……いえ…」
 彼女達の会話を聞きながら書面に視線を落としていた紅主は、ぐっと表情を引き締め顔を上げる。
「やはりこちらの依頼をお受けします!」
「承知しました!」
「ではこちらにサインを!」
 紅主の一言に、彼女達は手際よく書類を用意し、所定の手続きを済ませてくれた。

「…………」
 紅主は見覚えのある港町に降り立っていた。
 もう二度と来ることはあるまいと思っていた場所に、まさか昨日の今日で蜻蛉返りして来ることになろうとは…。
 そう。ここはサビクが今住む町であった。
「っ!」
 紅主は勢いよく首を振り、顔を上げる。
 別にサビクに会いに来たわけではないし、生活がかかっているのだ。
 これからひとりで子供三人を養っていくのだから、今までの仕事のペースではやっていけない。
 今のうちにできるだけ働いておかないと…!
 もう何度目か自分にそう言い聞かせ、紅主はまず協会が取ってくれた宿へと足を向けた。
 町外れにあるその宿から少し離れた森の中に、目的の遺跡があるのだという。
 町の数少ない観光名所でもあったそこに、いつの頃からかモンスターが居付き始め、徐々にその数が増加。
 遂には観光業に支障を来すようになり、困った町長がプリースト協会に依頼をしてきたのだった。
 宿で荷を置いた紅主は依頼主である町長宅に赴き、挨拶を済ませて遺跡に向かった。
 小さな光の魔力球を頭上に放ち、薄暗い遺跡内を歩く。
「…………」
 確かに、モンスターの気配がそこかしこから漂ってきている。
――ウヴォォォォォォォォォ!!!」
 それからいくらもしないうち、左右に分かれていた通路の影からモンスターが飛び出してきた。
 突進してくるアンデッドの第一撃をよけながら、手にしていた杖を構えて呪文を唱え、敵に向かって放つ。
 戦闘の気配にか、はたまた聖なる力に反応してか、次々とモンスターが襲い来る。
 遺跡内の構造は町長に聞いて把握済みである。
 紅主は個々に撃破しつつ前進。
 残りは広間に出てから広範囲の魔法で一気にカタをつけるべく、上手く逃げ回りながら奥へと誘い込む。
 程なくして紅主の目論見通り、自分を追ってきたアンデッド達と共に広間へと至った。
 そこにも多数の敵が待ち構えていたが、これくらいなら許容範囲。
 大規模な魔法は詠唱に時間がかかるが、その間はサビクの援護と魔力障壁で凌いで――
「……!」
 と、そんなことを思ってから、気づく。
 私、何を考えて……!
 サビクはもういない。
 自分に叱責を飛ばし、急ぎ状況を見返す。
 紅主を目がけて押し寄せてくるアンデッドの群れ。
 この数だ。ここで術を中断しても、他に代わる手段はない。詠唱が終わるまで、事前に身に纏っていた魔力障壁がなんとかもってくれることを祈るしかなかった。
 けれど、願いも虚しく、四方からの攻撃に耐え切れずに魔力障壁が砕け散る。
 続く攻撃が、陣を描いていた紅主の腕を掠めていく。
「くっ…!」
 痛みを堪えて手を動かそうとするが、既に複数のモンスターが毒気を帯びた爪を彼女に向けて振り翳していた。

「あーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 唐突に大声を上げて受付嬢のひとりが立ち上がり、弾かれた椅子がガタンガタンと激しく揺れる。
「な、何!? びっくりするんだけど!」
 隣に座っていたもうひとりの受付嬢が飛び出しかけた心臓を押さえながら彼女を仰いだ。
「いっけなぁい! さっき紅主様に引き受けてもらった仕事、敵の数多いから複数人で来た方がいいって言われてたの忘れてたぁぁぁぁぁ!!!!」
「えええええええええ!!??」
 青ざめた顔で叫ぶ相方に、もう一方も同調する。
 が、彼女はふと思い出す。
「……ああ……でも、それなら大丈夫よ。」
「うわぁぁぁぁどうしよぉぉぉぉぉ……え? 何が大丈夫なの?」
 冷静に言われて漸く、叫んでいた受付嬢も少しの冷静さを取り戻す。
「あんたは紅主様の仕事を見たことないから知らないでしょうけど、紅主様はいつも旦那様と一緒に仕事をしていてね。その旦那様もまた強いのなんのって!
 しかも紅主様と息ぴったり!
 普段は旦那様メインで紅主様がサポートしてるんだけど、いざ紅主様の退魔の力が必要になると、旦那様がさっとサポートに転じて、その間に紅主様が大魔法でどーん☆よ!」
「うわぁぁぁぁ何それかっこいいぃぃぃぃ!」
「素敵なご夫婦よね~。」
 二人がうっとりしながら目を輝かす。
 そして最後には、
『私もそんな旦那様、欲しい~~~~~~!!!』
 と、来客の無い受付に、黄色い声を響かせた。
 その『旦那様』が現在不在であることなど、彼女達の知る由もないことであった。

 死臭漂う毒爪を振りかざす魔物達を前にして、紅主の心に絶望が満ちる。
 ダメ… 間に合わない……!
 直後、子供達のことが脳裏をよぎる。
 …そうだ…こんなところで倒れるわけには…!
――っ!」
 詠唱を諦め、逃げることに専念しようと決意した時。
 紅主の視界の中で、攻撃態勢にあったモンスター達が一瞬にして薙ぎ払われ、霧散した。
「!?」
 紅主は我が目を疑った。
 アンデッド達に代わってそこに在ったのは、見慣れた後ろ姿。
「詠唱止まってるぞ!」
「っ!」
 自分を守るように眼前に現れた背中に叱咤され、急ぎ術の続きを口ずさむ。
「詳しい話は後だ! まずはこいつらを片付ける!」
 勢いを止めることなくアンデッド達を斬り伏せていく彼に、紅主は頷き返して集中する。
――彼の者達に浄化の光を!!」
 そうして長い呪文を唱え終え、足元に描かれた巨大な魔法陣から目映い光が放たれた。

「しかし、まさかひとりで来られるとは…。」
 馴染みの店のカウンター席に座った町長は、腰を下ろすなりそう呟いた。
「何かあったんですか?町長。良ければ話、聞きますよ。」
 紅茶の入ったカップを差し出しながら問うマスターに、彼はため息をついた。
「いやね、プリースト協会にモンスターの討伐を依頼したのだが…」
「ああ、遺跡の件ですか?」
 町長は頷く。
「…だが、派遣されたのが、まだ若い、女性のプリースト様おひとりだけでなぁ…。」
「あの数をひとりで…ですか? それは確かに心配ですね…。」
 苦悩の表情を浮かべる町長の意を察してマスターが言う。
 それに町長は再び頷いた。
「私も同じ年頃の娘がいるからね…。
 協会から正式に派遣されたプリースト様だから大丈夫だと思ってはいるが、やはり気が気ではなくてな…。」
――なんなら、俺が様子を見てこようか?」
 ふいに掛けられた声に、町長は顔を上げた。
 声のした方を振り向けば、隣の客がコーヒー片手にこちらを見ていた。
 荒々しく伸びる赤い髪の、頬に傷のある男であった。腰には短剣を差しており、その風貌から、歴戦の傭兵か何かであろう貫禄が感じられた。
「おお… 腕に自信がおありですかな?
 では、お言葉に甘えて、遺跡の討伐に向かわれたプリースト様の補佐をお願いできまいか。
 勿論、報酬もご用意しますぞ。」
「そいつは助かる。引き受けよう。」
 男が頷くと、町長の表情が漸く安堵に緩んだ。

 こうして町長の正式な依頼を受けた男――シグは、先に出発したというプリーストを追って遺跡へと入った。
 既に戦闘が始まっているようで、魔物達の耳障りな雄叫びが奥から轟いてくる。
――おっと。」
 角を曲がったところでプリーストの姿を発見し、物陰に身を隠した。
 協会としての立場もあるだろうから、手助けが不要そうなら見守るだけに留めるように…というのが町長の意向だった。
「……しかし、まさかあのハイプリーストだったとは……。」
 影に身を潜ませながら窺う先では、セリーシアの家にやってきたあのハイプリーストがアンデッド達と交戦していた。
「……へえ、なかなかやるじゃねえか。」
 その姿を眺めていたシグは感嘆する。
 敵の攻撃を避け、あるいは杖で受け流し、必要なら迷わず退き、態勢を整え、魔法で攻撃。
 バリバリの戦闘タイプではないが、プリーストとしては申し分のない動きである。
「…………」
 だがそれは、相手の数が少ない時にこそ使える戦い方だ。
 彼女は対応しきれない残りのアンデッド達を上手くどこかへ誘い込もうとしているようだが、プリーストがひとりでこの数を(ほふ)るなら、大魔法を放つしかないだろう。
 けれど、大魔法は威力が大きいだけに、制約もあるしリスクもある。
 詠唱と魔方陣が必要となるので、ひとたび唱え始めたらそちらに集中しなければならず、身動きが取れなくなる。
 だから大魔法を扱う者は大概パーティを組んで行動するのだが…
「…おいおい、大丈夫か…?」
 シグは軽く呟きながら、腰の短剣に手を掛けた。